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  小説   ニーヤ
1990/5

 島村うめは暖かい陽射しの射す居間で編み物をしていた。
机の上に青と白色の毛糸の玉が置かれ、うめは黙々と編み
針の手を動かす。
昨夜髪を白く染めたばかりだから、生え際の少しばかりの
長さが白いのを除けば黒々としていた。
和服を着て正座をしていれば何時間でも疲れを知らぬ人の
ように見えた。
こうしてうめは八十歳になるまでくつろぎを必要としない
人のように、常に端正にそして律気に生きてきた。

 窓の外の小さな庭では雀が降りてきてチッチットさえず
っているのが聞こえる。
机の向うで裁縫をしている娘の良子が時々母のうめの方に
眼を注いでいる。
「お母さん、疲れたら休んでいいわよ」
「ううん。ちっとも疲れないけど。これは何段編んだら色
を変えるんだっけかね。」
 うめは老眼鏡を鼻の先の方までずり下ろしたまゝ、眼鏡
枠の上から黒目を良子の方に向けた。
良子はうめの方を見ないで裁縫の手を続けながら「二セン
チ交替よ。机の上の紙に書いておいたわよ」とさりげなく
返答した。

 編み物を始めて一時問と少しの問に同じ質問が十分か十
五分おきに繰り返し投げられる。
質問の問隔が少し長いと思っていると色模様を変える
のを忘れている。そのことを注意されて、うめはせっかく
編んだ所を編針を抜いて何センチ分か解かなければならな
い。
 しかしうめはそのことに腹を立てるわけでもない。解い
たこともすぐ忘れるらしい。多分、夕刻には何を編んだか
も忘れるのだろう。だから良子は母のうめに「呆け」が来
たことを正面切って言ったことはない。唯、何か母が嫌気
を起こすことなく時問を過ごしてくれていることが必要で
あり、そのために気を使った。

 良子はお茶と菓子を母の机の上に置き、うめが編物の手
を休めるように机の端に新聞や雑誌と共に積んでおいた。
それをいまそっと母の前に近づける。
「お母さん。好きな番組があったらテレビをつけても良い
わよ」
良子は母の答えがいつも「特にないわね」というのを知っ
ていた。知りながら、ひょっとして自分からテレビや雑誌
に興味を持ってくれるかも知れないと期待をしていた。そ
うすれば頭も回転して呆けの進行が止まるかも、というか
すかな希望がある。うめはお茶を正座したまゝすすり、目
を雑誌の上に向けた。
「おや、きれいな写真だね、これは。まあ天皇の特集のよ
うね。お若い蒔の写真もあるね」
うめは天皇の死んだことを知っているのかいないのか、そ
の写真をめくっていた。良子は母がどんな反応を示すのか
興味が湧き、しばらくして声をかけた。
「どう、お母さん、おもしろい」
「ふん、そうね。『須(すべから)く君臨したもう』なん
てなつかしい言葉ね。でもこの写真はなんだね、戦争の場
面がやたらと多いわね。まあ、戦争は写真で見るのもいやね。
これじゃ楽しい写真集と言えないんじゃないの。つくりは
立派だけど」
「そうですか。でも満洲の大連のことなど想い出さない?」
 うめが興味を示すのはテレビの相撲が少しと園芸のこと
と、そして娘時代に過した大連のことだった。大連のこと
だけは眼を輝かして話を続けた。そして大連の話を生き生
きと話すのに良子は何十年もつきあったきたことになる。
でもいまから振り返ればあまり話に幅がなくて同じことの
繰り返しだったことに気が付き良子はヒヤッとすることが
ある。そんなに昔から母は呆けていたのだろうか。いやそ
んな筈はない。良子は確信を持ってそう言い切れる。つい
数年前まで母は家庭の中心を握り、どんな暑い時も和服を
着、どんな寒い冬でもコタツにうづくまるということがな
かった。
そして米粒の一つでも落ちていれば勿体ないと言い、
一円球が落ちていればバチが当たると言って拾って大切に
した。だから逆に想い出とはそんなものだろう、なんか鮮
明なところだけが記憶に残るのだろう、と自分を納得させ
てきた。
 母が握っていた家庭、そこに父が亡くなってからは母の
する仕事がまるで雪解けが起こったように消えて行ったの
だ。
「おい、うめ、新聞を持ってきてくれ。うめ、飯はまだか」
と催促する人がいなくなってみれば、うめの仕事が、女の
道が、生き甲斐が、忽然と消え去ってしまったかのようだ
った。
 そして母の家の冷蔵庫に肉のロースばかりがびっしりと
入っているのを見つけたとき、それは父の葬式以来半年も
経っていなかった。
 良子は母の買物コースを歩いてみて驚いた。肉屋の親父
さんを初め何件もの店が次のように口をそろえて証言する
のだった。
「ハイ、奥さん。お宅のお母さんが一日に何回も同じ
ものを買いに来るのでね。私しゃ、先ほどお買いあげ
頂きましたけどって言うんですけどね」

 「お母さん、ニーヤという人の名前は解らないの」
良子は正座したまま、うつらうつらしている母に声
をかけた。未だに母は横になって昼寝を絶対にしない。
申し訳ないから、と言う。
「ニーヤて言うのは大連のどこの日本人のお家にも
居ましたよ。何でもしてくれる人ですよ。買い物から
掃除から炭運びでも何でも」
「お母さんより若かったの」
「そうね、私が、そうそう、八歳の頃から十七か八ま
で大連にいたんだから。ニーヤは十五歳くらいだった
かしら。何しろ私が若かったから良く想い出せない
けどね。ニーヤとは呼んだけれど名前では呼ばなかっ
たわね。満人は男の子を日本の家庭に出したんでしょ。
女の子は見たことがないわよ」
「でも、お母さんと同じくらいの年齢だから、一緒に遊
んだりしたのじゃないの。」
良子がニーヤの詮索に懸命になるのには理由があった。
母の呆けを止める一助になる方法として一度母を大連に
連れて行くか、或いはそのニーヤを探して昔の想い出を
語り合ってくれれば、ひょっとして良くなるのでは言う
気持ちがあった。
「あら、私は女だから女同士と遊んだし、学校も女だけ
の立派な女学校へ行ったから」
 うめの語るところを聞いていくうちに良子はその「ニ
ーヤ」という語にひょっとして現地人への蔑みが含まれ
ているのではと言う気もしてきた。
そして満州語で何かそのような軽蔑の言葉があるのかも
しれない、と考えそれ以上聞くことはやめた。

 うめは正座したままコックリコックリしていた。満洲
から日本へ帰りすぐに父の元へ嫁いで来た母。祝言の日
まで夫の顔を知らず、夫の家には厳格な舅.姑がうめの言
動をそれ以後の二十年問一日中追い回してきた。

 母の居眠り姿を見ながら、良子は今始めてうめという一
人の人問は自由を満喫しているのかも知れない、呆けに
なって始めてこの母は頭の中まで解放された気分になれて
いるのかもしれない。そんな風に良子には思えてくるの
だった。そして今ではもう家の中に君臨する人は居ないの
よと、そっとささやいてみるのだった。
「こんちわ。」
玄関で大きな声がした。大工の竹さんである。声ですぐ
解った。
「おくさん遅くなって御免よ。階段に手すりを取っつけ
るっていうのかえ。奥さん足腰にケガでもなさったかね。
まだお若いのに」
良子は口に指を立てて竹さんの声を押しとめた。
「いいえ、すみません。私じゃないんですよ。私の母がこ
れから一緒に住むことになったのでね。それで安全のため
にと思って。簡単にできるものかしら」
「おや、奥さんじゃない。そりゃ結構なこって。なに、そん
なのはまかしてくんなさい。一時問もあれば終っちまいま
すよ。そうですか、おふくろさんの面倒をみなさる。そりゃ
大変なこってすなあ。奥さんの心がけは見上げたもんだ。
なに私の家でもね、昨年親父があの世へ行っちまったけど
ね。うちの家内なんざ、さんざん陰で私に愚痴ばっかりこ
きあがってね。本当に奥さんは見上げたもんだ。」

「あら自分の親の面倒見るのは当り前ですわ。お宅の奥さ
んの場合は立場が違いますから仕方ないでしょうね。」
竹さんは玄関に座りこんでしまった。仕方なく良子はお
茶を出して竹さんの話を聞いているうちに、思いがけない
方向に話題が移った。竹さんの父も「二ーヤ」という言葉
を良く便ったというのである。

 「何ですか竹さんのお父さんは朝鮮の方へ戦争で行かれ
たのでしょう。そこでも二ーヤという言葉があったのです
か」「へえ、私しぁ、朝鮮語は話せないけどね。でも二ー
ヤという男の子をどこの日本の家庭も雇って女中替わりに
使ったそうですよ。まあ軍隊と一緒に強引に入って来た日
本人の家に娘を出さないっていうのはわかるけどね。そう
ですか、満洲でも二ーヤって言ってたんですか。満洲も朝
鮮も同じような言葉使ってんじゃないですか。地続きの国
でしょう両方とも。ただ、うちの親父はバカ元気だったよ
うでね。
 向うで多勢の人を殺したようですよ。現地人の反抗する
人を引っ捕えて首をハネる所を全くバカ丁寧に何度も何度
も聞かされたもんですよ。あっしもね、食事の時問にだけ
は親父に勘弁してくれってお願いしたこともあるんだ。本
当に家内の気持もその辺にあんのかも知れないね。親父に
近づこうともしてなかったね、あいつは。

 おや、無駄話しちゃたね、御免よ。じゃ、帰ってすぐ手
すりを手配しとくから、来週の中頃には取りつけられるよ。
時問は何時頃が御都合良いんでしょうか、奥さん」
 竹さんは立ち上がると首に巻いたタオルで手をぬぐいな
がら良子の返事を待った。
「そうね、昼問は私はお勤めしてますけれど。でも母と、
それからネーヤが、家政婦協会の方が居ますから何時でも
結構ですわ」
と答えながら良子は「あらっ」と思った。「ネーヤ」。それ
はうめのために来てもらっている人で良子は「原田さん」
と呼んでいるが母は「ネーヤ」と呼ぶ。うめは自分が呆け
ていることを自覚できないから、うめの世話をしに来てく
れている女性をお手伝いさん程度に考え、・・女中・・ネ
ーヤと呼ぶ。ネーヤは「姉や」のことであろう。
 そこまで考えて良子は全てが解けた気持ちになった。
二ーヤは日本語だったのだ。女性のお手伝いさんをネー
ヤ(姉や)と呼び、男性の場合は兄や(二ーヤ)と呼ぶ。
ただそれだけのことなんだ。
それだけのことでありながら二ーヤとして扱われた少年
達の気持が良子の胸にジーンと染みこんで来た。
 原田さんに来てもらってまだ一ケ月も経たないのに、良
子に「奥さんに言っても仕方ないんですけど」と前置きし
て原田さんが台所の隅でボヤいたことがあった。

 「あのね、私はいろんな病人さんを世話してきましたけ
れどね。仕事としては外傷人の方の場合が大変なんですけ
ど。それはつまらないことかも知れませんが、終って感謝
してもらえる時の気持。それが私の働いている喜びなんで
すよね。ところが良子さんのお母さんの場合は、そりゃ呆
けていらっしゃるから当人から感謝してもらいたいと言っ
てもそれは無理なことはわかっています。でもあの"ネーヤ"
という言葉で呼ばれる時の気持、これは恐らく良子さんに
はおわかりにならないでしょうね。私のグチでしたね。す
みませんね。つまらないこと言っちゃって」
 
 竹さんを送り出してから居間に戻るとうめは天皇の写真
をめくっていた。
「あら、きれいな写真ね。でも何だか戦争の写真が多いわ
ね。暗い感じがしていやね」とつぶやいていた。

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