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 60才代の ” 文化活動 ”について

 私が参加している囲碁・卓球・合唱などの活動を通してみると、
60才を超えた人達が圧倒的に多いですね。
日本では、60才を超えてから人生を楽しむことが
出来る時代になったということでしょうか。
 私の母の時代、今から2、30年前では、家の外へ出られる元気が
ほぼ50代で終わっていたので、日本全体で老後を楽しむ人達
というのはとてもごく少数だったと思います。

 仕事や生活に直接役立たない活動や趣味は、贅沢であるかのような、
一種罪悪感を持ってとらえられていたこともあったようです。
 本来は社会人になってから(20才を超えて)
仕事も趣味も生活も余裕を持って過ごしたいものですが、
日本の場合60才までは職場環境が過激に人生を束縛しているのでは。
 女性についても子育てや家庭を守る任務から解放されるのが、やはり60才を超えてからではないでしょうか。

 そして60才を超えてから参加した人達を見ると、体力的にはまだまだ元気があるので数年で驚くほど技術を磨き上げ、熟練して行く人達が大勢見られます。

 例えば卓球ではいろんな技が必要ですが、それらを急速に身につけていく人がいます。
合唱では発声が艶のある声になり、譜読みが出来、ハーモニーの美しさを知るとか、囲碁では初めての人が数年で2,3級になるのは普通ですね。私は40才頃まで囲碁の1級の人は天に近く見えました。
 その私が定年後参加したお陰で今はアマチュアの4段です!

 活動している人たちを見ると顔が輝き、生き甲斐を感じているようです。
 私はそのような人達から「こんな年齢になっても、人生が楽しいものとは想像できなかった」という話を幾つも聞きました。

 もう少し具体的に見ると、週に1度ではなく、2回以上参加している人、それは別の団体となりますが、幾つもの団体に参加する人がいます。やはり週に2度となると進歩が早いですね。
 囲碁の場合、ある高段者は「週に1度では昇段は無理ではないか」と断言する人もいます。
 趣味の道の成長とか進歩というのは、自分の身体や頭の構造などが詳細は解りませんが具体的に変化をして上達していくのでしょう。だから鍛錬も時間も必要となるのでしょう。そうして自分の身体が成長していくのを感じて生き甲斐を感じ、表情にも表れるようです。
 それの練習では、複数の団体に参加した方が自分に適した道を早く見つけることが出来、同時に違う世界が見えて、世界が広がって楽しいのでしょう。
 複数の団体に参加できる自由は大切なことですね。

 若くて元気だった50歳代までには想像できない自分が、第2の人生を造りつつあることを実感できるのは素晴らしいことです。これが本来の「夢」の実現と言えるのかも。
 その素晴らしい新しい人生を見つけられることが、今日本全体で普通に見られていることは凄いことです。
 いくつもの活動に参加したお陰で身体が元気になり、家族に感謝されているという話も聞きました。
 自分自身が数年でどしどし成長していくことを実感するのは素敵なことですが、(それには一定の努力が必要ですが、)どの程度のレベルで現在を満足するかは、70才代で分かれるのかもしれません。逆に言うと70歳までに自分を高めておくことが必要となるのでしょうか。(70才はまだ赤子だと言ったデザイナーが居たそうですが)
 一人の人生が50代でほぼ完了していた時代が30年前までの日本であったということを振り返ると、日本は凄い発展をしたなと思います。
 
 社会的な場に出来るだけ参加することは、その人の世界を広げ、素敵なことです。
 特に目立つのが女性が多いこと 

今紹介している活動は、(囲碁以外)、だいたい女性が8割以上を占めているでしょう。
そして今日本の文化活動では飛んでいる女性が目立ちますね。
 世界を広げた女性が増えることは日本を明るくするでしょう。
  
女性の”力”についてですが、少し違った面からその評価が高くなったことを20年ほど前に聞いたことがあります。
 それは商店街の売り上げが女性によって動かされるようになったということでした。
 食料だけでなく、旅行業や本屋や着物類まで、あるゆる商品の購入権をが女性が決定的に握っていると言うことでした。
 国外、国内の旅行など、圧倒的に女性が多いですね。またついでに私の経験を紹介しますと、15年前にニュジーランドに行ったことがあります。そのときのジャンボ飛行機の客は9割が日本の女性でした!!
  
  
60歳代の文化 _2

60歳代の文化を、特に女性の特徴に着いてみてきました。
 現代は高齢化故に、西洋文化の大量流入故に、男女平等感の成長等々の故にでしょうか、 元気で希望をもって生きている人達が一般化してきました。
そこで次に気が着いたのは、かって日本や東洋の特徴と言われた「嫁いじめ」がほとんど話題にならなくなったことです。
 20数年前には結婚後の女性は数多くの制約の中で子育てだけにしか希望がもてず、自己を主張できず、子供を溺愛する姿が多くのドラマに描かれていました。
やがて子供が成長し恋人を作るようになって親離れが始まるとそのころには母親自身の余命の短さが目に見えるほどになっていて、新たな悲劇が始まるというのが共通して描かれていました。
それらに共感・共鳴する人達も数多く見られたのではないでしょうか。

 それは日本の後進性の一面を象徴するような姿だったのではないでしょうか。
だが現在は時代が変わったかのような変わり目を見せています。
 子供が育った後もまだまだ健康で寿命が先に延びています。
女性自身が子供が居なくなった後も新しい希望や喜びを持って活動できる多くの場が生まれています。
 子どもの成長を見た後に、孫の成長を楽しみながら、なを女性が自分自身の社会参加を楽しめる時代が、今日本に存在しています。今、嫁いじめなどはほとんど話題になりません。

 先日聞いた話ですが、60才の定年を超えてある体育運動に参加した男性がその妻に言われました。
「貴方はこれから自由時間が多くなっていろいろ好きなことができるでしょう。私も好きな道をこれから探すので、私が忙しいときは貴方は自分で食事などをしてください」と。
 これが日本の平均的な夫婦の会話でしょうか。
 外国の書物には、日本の男性は料理等家庭内のことは何もできないと書かれているそうです。その一つの例に「日本の男性は自分のパンツの仕舞い場所さえ知らない]と記されているそうです。
 男性も変わらざるを得ないし、同時に女性も大変大きく変わっている時代ですね。

 今、日本は高齢化を迎えて本当に大きな変化の時代を歩んでいるようです。
その変化の土台が高齢化がもたらしたのか、女性の社会進出なのか、経済的なものなのか学校教育なのかは良く解りませんが、とにかく一つの時代の流れでしょう。 

 
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