京都の坊さん

2000・10
 京都には寺社仏閣が3000もあるそうです。
そしてそれを管理・維持する僧侶の数はどれほどでしょうか。
私の中学・高校時代、学校に大徳寺の坊さんの子供が何人もいました。
 中学校の頃、大徳寺はどの寺も戦争の跡のままでしょうか
、垣根や塀が壊れていて、通学時近道をするために寺の中
庭を横切って行ったことがあります。時には坊さんに見つか
って箒で追いかけられたこともありした。
今宮神社には良い匂いのする肉桂という木がありその皮を
採って匂いを嗅いで遊びました。また同級生のお寺に遊び
行って本道で柔道したり、寺の大きな庭の木に登ったりした
ことがあります。
 あのときの同窓生達は今頃頭を剃って毎日お寺で読経し
ているのでしょうか。

 高校の時は商業の先生は坊さんでした。どちらが本職か
知りませんが、夏が近づくと檀家へお経を上げに行きます。
当時まだスクーターは珍しい頃ですが、授業が終わると急い
でスクーターを飛ばして学校から出て行きました。
私はたまにしか京都に行きませんが、親戚がいる所為でしょ
うか、お寺に関する話は幾つもあります。
 最初に驚いたのは拝観料への課税反対運動が成功したそう
です。
私が子供の頃のお寺は戦後の荒れた姿がそのまま残っていま
した。
しかし次第に世界から観光客が来るようになって、庭を綺麗にし
て拝観料を取るようになりました。
その所得に対して京都市が課税することにしました。しかし京都
全体の寺社がそれに反対しました。
その反対運動は15年程続いたのではないでしょうか。
 なんと、坊さんの団結が市に勝ったとのことです。
 
 坊さんの強いのは又次の話でも解ります。
フランスから大統領が来て京都市長に「鴨川にフランス式の橋を
架ける」約束をしました。
 ところがそれから数年経っても橋が完成しないので、京都へ行っ
たときタクシーの運転手に聞きました。
「フランス式の橋がどうなったの」と。
そしたら運転手が「京都は坊さんが強いからそんな話簡単に通ら
んでしょう。
京都の景観が壊れると反対してますから」と答えました。
 その橋は遂に夢と消えました。
 
 京都に行ったとき、週刊誌を見て京都のある寺の庭園が綺麗な
のに驚き、その寺を見学しました。
 確かに庭が見事でした。寺の外まで長い列が出来て、観光客が
入れ替わり立ち替わり入ってきます。入場料は1人300円でした。
 その話を京都の知人にしたら、
「そや、あそこの和尚の息子は良く祇園に高級車に乗って遊びに来
たはるわ」
との返事が返ってきました。
 
たしか京都駅を建てるときも、二条城の近くにホテルを建てるときも
「景観論争」が起こっていました。
その話が出るといつも決まって「坊さんが許さはるやろか」と言う言
葉が出てきます。

 又違った形で京都の寺社の凄さを感じたことがあります。
 正月が過ぎて1月の半ば、市民の多くの人は近くのお寺にお参り
します。
私も兄や姉と4人で行きました。お寺に近づくだけで人混みの凄さ
が解ります。
京都のお寺は何処も大きくて、市電を降りてそこから見上げる山の
中腹まで人で一杯です。
お寺では、各お堂の前に立ってお賽銭を放り入れます。ところがお堂
の数が半端ではありません。
一周すると10個を遙かに超えるのです。参拝する側の人間が4人だ
ったので、
姉が用意したお賽銭が袋に一杯ありましたが、参拝が終わる頃は全て
無くなっていました。
 
下記は「京都の年中行事」
http://www.kyoto.cc/sub2.htm

もっと違う形でお寺の坊さんとキリストとの関係を驚きの目で見たことあります。
 それはある教会の中での結婚式です。その教会は河原町3条にあり、
京都でも一番にぎやかな教会ではなかったでしょうか。
新婦がクリスチャンであることと、二人の仕事の取引関係がお寺である
ことが主要な関係でしょうか、教会の中の最前列にずらっと並んでいる
のは黄色や紫の衣を着た坊さんでした。
もちろん二人に結婚の誓いをさせるのは牧師さんです。
 多分外国では見られない景色ではないでしょうか。
宗教団体がにらみ合わないのは世の平和のために大切なことですが、
でも他国ではちょっと難しいことではないでしょうか。京都以外でも難し
いのでは。

戻る

Ads by Sitemix